いちばんたちが悪いのは「自分が正義」だと信じている人間

正義、校正、法律

正義というのは相対的なものだ。

シリアなどの紛争地域では、互いの正義がぶつかっている。テロ行為は容認できるものではないが、テロを行う側に彼らなりの(歪んでいるとは思うが)正義、理由がある。

誰しも自分の正義を持っている。それは構わない。
困るのは、自分の正義だけが正しいと盲信し、他者の正義を容認しない人。

他者が正義を主張してもそれを「言い訳」「妄想」と切り捨てる。
自分は「常識的な人間」であり、世間の人は皆自分と同じ考えを持っていると確信している。
別に誰かに確認したわけでもないのに。

彼らとは議論ができない。
主張のこの部分は正しいけれど、この部分は間違っている、という腑分けもできない。
正義か悪かの二元論で判断されてしまう。

正義や常識を語り出した人は、議論には負けている

自分とは異なる正義を主張する方を頭ごなしに切り捨てるのではなく、「なぜ彼はそのように考えるのか」をしっかりと確認した上で、主張を腑分けして双方が納得できる合意を目指す。
自分が間違っていることに気づいたら「なるほど、その発想はなかった」と認め、相手の意見を自分のそれと統合してよりよい理解を目指す。

個人的には、議論を行う際に「正義」や「常識」といったキーワードを持ち出したら負けだと思っている。

「正義」という言葉は美しい。でもそれは、意見の異なる他者を排除する言葉でもあるのだ。

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