仕事でトラブルになり、「言った、言わない」の不毛なやりとりになることは珍しくない。
真実は一つのはずなのに、どうして関係者の意見が違うのだろうか?
原因は、人間の記憶がたいして当てにならないことにある。
記憶は簡単にねじ曲がるし、場合によっては実際にはなかった出来事を記憶させることさえ可能だ。
何回かに分けて、心理学の実験を通じてわかった「記憶のあいまいさ」について書く。
車の速度は?〜目撃証言の曖昧さ
エリザベス・ロフタスという学者が1974年に行った実験がある。
数十人の大学生に車の衝突事故の映像を見せる。
その後、大学生を5つのグループに分けて、事故の状況について質問を行うのだが、グループ毎に質問の表現を若干変えている。
たとえば、あるグループには「車が衝突したとき、どのくらいの速度で走っていましたか」と尋ね、他のグループには、「車が激突したとき(以下同文)」といった具合だ。
その結果、まったく同じ映像を見ているにも関わらず、5つのグループの車のスピードに対する回答は少しずつ異なった。
(表1)質問の表現に引きずられて、記憶が歪められてしまったと考えられる。
さらに、「車の窓ガラスは壊れたか」という質問をすると、「激突した」という表現の質問をしたグループの中で「イエス」という回答が目立って多くなる。
実際の映像では窓ガラスは壊れていないのだが、「激突」という言葉に引きずられて、記憶が作り替えられたことがわかる。
経営コンサルタントの考え方
業務改善コンサルでは、現場担当者としつこいくらいにヒアリングを重ねて問題点をあぶり出すというプロセスを踏む。
しかし、どんなに上手くヒアリングをしたとしても、担当者が話すのはあくまで担当者の「記憶」(前述のように、曖昧なもの)に基づいたものだ。
窓ガラスは壊れていないのに、昔からずっと壊れていたと発言するかもしれない。
どんなに実直で信頼できる現場担当者でも、意図せずに歪んでしまった記憶に基づいた発言をすることがあり得る。
発言をそのまま信じるのではなく、複数の方の発言を照合したり記録資料にあたる、といった行動をおろそかにすると、あさっての方向へ提案をしてしまうことになる。