もう考えたくない

人は「答え」らしきものを見つけると、それに飛びついてしまう。
考え続けるのはきついからだ。結論を教えてくれ。

他者の言うことを無批判に信じるのは楽だ。
社長が言っているから、尊敬する先輩がそう主張するから、恩人が強く薦めるから・・・・

完璧な人間はいない。誰もが間違う。自分も例外ではないし、尊敬する誰かだって。
意図を持ってある方向に誘導している場合もある。
そしてその方向は、あなたにとって必ずしも良いものではない。
相手にとっては、確実に良いものだろうけど。

一旦戦略を立てたのち、周囲の状況が変わったのにも関わらず
その戦略を墨守した結果会社が消滅したなんで話はいくらでもある。

彼らはきっと、長い時間をかけて決めた戦略を変更するのが、
また考え始めるのが、考え続けるのが「億劫」だったんだと思う。

When my information changes, I alter my conclusions. What do you do, sir?
情報が変われば、結論を変えるさ。貴方もそうするでしょう?
J.M.ケインズ

懐疑的な立場を取り続けることは難しい。
疑い続けるというのは、考え続けるということに他ならない。
それは、とても疲れる行為だ。

また、そんな人間は周囲から疎まれるだろう。
いちいち「本当だろうか?」と問いかける人間を好きになれるか?

でも、考え続けるのを辞めてしまえば、そこから彼が歩くのは誰かの奴隷としての道だ。
昔自分で決めたことだ?
ならばそれは、「過去の、まだ情報が不足していた自分」の奴隷なのだ。

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