日経トップリーダーの2020年9月号 46ページにこんな言葉があった。
管理すべきは厳密に言えば事業や仕事であって、人ではない
その通りだなと。
人間を管理しようとするのは難しい。そして、いくらギチギチに管理しようとしてもいずれボロが出る。
人は厳しく管理されれば、抜け道を見つけるだけだ。そしてルールは形骸化する。
そもそも会社は小学校でもなければ、人格を陶冶するための施設でもない。
人を管理し、一定の型に嵌めることを営利企業に求められても困る。
きちんと仕事をしてもらい、最低限、周囲とうまくやっていける(これは「仕事」をするために重要な要素だ)のであれば、
時間外にギャンブルに現を抜かしてようと、家族に不義をしていようと、会社としては全く構わない。
道徳の授業を会社でするなんて、ごめんだ。人の管理はしたくない。
話はズレるが、某IT企業の社是に「邪悪になるな」とある。
対象者の視点によって容易に変わりうる「邪悪」という概念にならない、というのは、非常に高いハードルか、あるいは不可能だと思う。
バイキンマンから見た「邪悪」って、誰でしょうね。
いずれにしても、道徳をうたいたければ、まずは安定した利益の獲得と維持が大前提だ。
二宮尊徳の言葉にあるように、経済(利益)なき道徳など、寝言に過ぎない。
そして、道徳は利益を連れてはこない(そういった機会は皆無ではないが、非常に少ない)。
従業員にまともな給与を払っていないけれど、道徳ある生活を強制する社長は、果たして「道徳的」なのだろうか?