「百聞は一見に如かず」は常に真ではない

人は手品に騙される。それも簡単に。
手品師は人間の視覚や感覚の裏をかく方法を心得ている。
手品を見ている人は、目の前で起きていることをきちんと認識できず、「不思議だな」と思う。

手品師が自分がやっていることを「手品」だと言っているのであれば害はない。
手品師が自分を「超能力者」「神」だと言い始めると、変なことに巻き込まれてしまう。

さて、「百聞は一見に如かず」という言葉がある。
「見ること」が人間に与える影響は大きい。観光地のガイドブックを百回見るより、一度現地に行った方がより簡単かつ確実にその場所について理解できる。

しかし、「百聞は一見に如かず」が成り立たないケースは多々ある。
「百聞」というのは、理論や経験談の学習と言ってもいいだろう。
百聞なしに一見する、それは、何の前提知識もなく現場に行って、見当違いのアドバイスをするようなものだ。
先入観のない視点で、ゼロベースで、といえば聞こえはいいけれど、知識のない人のアドバイスで容易に改善できるような内容なら、既に現場の誰かがやっているだろう。

手品のネタをあらかじめ「百聞」、つまり学習しておけば、騙されることもない。
何も知らずに「一見」してしまえば、目の前で起きる不思議な現象を信じてしまいかねない。

SF作家で科学者でもあったアイザック・アシモフは、こんな事を言っている。

一枚の写真は、何千もの言葉に値する、なんていうのはまったくの嘘っぱちだ。
もちろん、それが正しい場合もある。
しかし、例えば人は、ハムレットの苦悩を二六〇枚の写真で語れるだろうか。
そこでは写真など、何の役にも立たないのではないだろうか。
人間の感情・思想・空想・そうした事柄を表現できるのは、言葉だけなのだ。
(アイザック・アシモフ)

「百聞した上で、視覚の特性も理解し、一見する」というのが正しい方法ではないだろうか。
一見で物事を理解したいのであれば、それなりの準備が必要なのだ。

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