その偏りを意識せよ

中立的な立場。不偏不党というのは、
現実的には不可能ではないかと思う。

生まれた国、家族、友人、同僚、自分が過去に学んできたこと、
今更否定できない過去の行動。

どんな生き方をしても、何がしかの「しがらみ」は発生するものだ。
人はそれから自由にはなれない。
「自分は中立だ」と主張する人は、自分のその「偏り」を理解していないのか、
理解した上でそれでも中立を主張した方が自分にメリットがあるからそうしているにすぎないのだろう。

どうやっても「偏り」から逃れられないのであれば、
せめてその「偏り」を自覚した上で行動や発言をするべきだと思う。

偏った立場から発言しているということを相互に理解していれば、
コミュニケーションだってスムーズなのではないだろうか。
「あの意見は肯定できない。しかし、あいつの立場ならそういう思考になるのは理解できる」
というのが、真にわかりあうということだろう。

関連記事

  1. 比率ではなく頻度で考える

  2. 思考法その2〜ウチの会社は特殊(内部集団の過剰評価)

  3. ・・・定評がある、という言葉を使いたくない理由

  4. 撮影、カメラ、草原

    焦点錯覚。今見ているものを過剰に評価する

  5. 脳さえ残っていれば

  6. 出来事とその対応は別物

最近の記事

  1. 言葉に力がある
  2. 2025.11.13

    2025年モデル
  3. 2025.11.11

    紅葉
  4. 2025.11.10

    勉強グセ
  5. ゼロの集合

    2025.11.07

    確実なゼロ
  6. シーシュポス

    2025.11.04

    責任の分散

読書記録(ブクログ)