SFや少年マンガでよくある、脳だけ、頭だけになっても生きている人の話。
ジョジョの第一部ラストにおけるディオなんかを思い出す(古い)。
ちょっと違うかも知れないけど、京極夏彦の「魍魎の筐」なんかも似たようなテーマだ。
以前、クライオニクスという、アメリカに人体を冷凍保存してくれるサービスがあると聞いたことがある。
死亡した際に即座に冷凍、未来の科学技術で復活させるというもの。
全身冷凍と、首から上だけ保管の2種類があって、首だけの方が安価だと。
最新の科学によれば、人間は脳だけで物事を考えたり性格を構成しているわけではなく、
腸内細菌の状態など身体との相互作用により「性格」なり「思考」なりが造られているという説がある。
俄には信じ難いが、株式のトレーダーで好成績を上げるのは頭が良い人ではなく「なんか嫌な感じ」に従って取引をする人らしい。
いわゆる「唯脳論」は否定されつつあるのだ。
もしそうだとすれば、いかに未来の技術が進歩し冷凍保存された死体の再生が可能になったとしても、
首だけしか残していない方は、身体が持つ「記憶」や「性格」を再構成できない。
つまり、全く違う人間となってしまうのかも知れない。
そもそも自分のことを誰も知らない未来の世界に復活して楽しいのかどうか?
浦島太郎は果たして幸せだったのだろうか。
未来の進んだ社会を見たり、自分の子孫に会いたい気はする。
これは最近の本。現在読み進めている。トレーダーの話はこの本で読んだ。
ちょっと古いがこんな本を見つけた。週末にでも読んでみよう。