いったい何に悩んでいるのか?
おまえが何か自分の外にあるものゆえに苦しむ場合、
おまえを悩ますのはその外なるものではなく、
それについてのおまえの判断である。
しかしこれならば、
それを打ち消すことはおまえの力にできることである。
「自省録」マルクス・アウレリウス著
変えられないものというのは厳然としてある。
他人の考えだったり、周囲の状況だったり。
反抗的な従業員が急に自分に協力的になったり、
閑古鳥が鳴いていた店舗に突然お客が殺到することは、まずない。
それがあなたを苦しめる。
しかし、自分の判断は変えることができる。
他人や状況を受け入れて「ではその条件下で何ができるのか」と
考えれば、苦しみを(完全ではないにせよ)打ち消せる。
ところでおまえの心の性向のなかに
あるものがおまえを苦しめるのなら、
おまえの原則を正すのを妨げる者が
いったい誰であるというのか。
-同書
自分の性格が悩みの原因なら、
なぜそれを直さないのか。
誰もそれを邪魔していないのにも関わらず。
同様にまた、これこれの行為が健全と
思われるのにそれを実行せずにいると
いって悩むのなら、なぜ悩むよりむしろ実行しないのか。
-同書
なぜ実行しないのか。
その行動が良いことだとわかっているのに。
人間の悩みは、さほど変わらない。きっとこれからも
自省録の著者であるマルクス・アウレリウスは
ローマの皇帝で、紀元二世紀の人物だ。
古典を読むと、人間の悩みは昔から
さほど変わっていないことがわかる。
テクノロジーが進歩しても、AIがどれだけ発達しようとも、
1800年以上前にローマの皇帝が書き記したことすら、
人間は解決できていないのだ。