自由と平等、どちらに重きをおくか

自由と平等はセットで語られることが多い。

でも、よく考えると、この二つを両立させることはかなり難しいことがわかる。

自由と平等のバランス

自由を追求すれば、格差が生まれ平等ではなくなる。
学校でも企業でも自治体でも、自由競争を行えば優勝劣敗が明らかになり、
得をする人と損をする人が出てくる。

平等を追求すれば、自由が制限される。
機会の平等を実現することは遺伝子レベルで不可能だし、
結果の平等を実現しようとした共産主義の失敗はいまさら語るまでもない。
#興味のある人は「共産主義黒書」を読むといい。

もし、自由かつ平等な社会があり得るとしたら、
「ある程度自由で、ある程度平等で、そのバランスがちょうどいい」
社会なのだと思う。

丁度よい、というのが5:5なのか2:8なのかは、時代や社会背景によって異なる。
日本社会は、自由と平等のバランスが(他国と比較して)、
完全ではないもののそれなりに上手く取れていると思っている。

もっともそのようなバランスのとれた社会を持続することは難しい。
いずれ自由か平等、どちらかに針がふれていく。

そこで、弛まざる「調整」が必要になる。
調整を面倒くさがり、怠ると、「自由」か「平等」の片側に大きく傾き、社会は崩壊する。

自由と平等、どちらを重視するか

企業経営において、自由と平等のどちらを優先すべきだろうか?

バランスの取り方は会社によって異なってよい。
自由を重視する会社があってもいいし、
平等を重視する会社があってもいい。

ただし、会社を一歩出ればそこには平等なんてものはない。
談合の時代に戻ることはおそらくできない。

そこには、競合との剥き出しの自由競争が待っている。

社風は自由でも平等でもいいけれど、
社外の残酷なまでに「自由」な環境で戦える体制は整えないといけない。

自社をどうしたい?

抽象的な表現で恐縮だが、個人的には、
仕事の進め方は「自由」で、
給与などの待遇は「平等」寄り(完全ではないけれど)な
組織を作りたいと思っている。

それがいい組織がどうかは、個々人の価値観による。

「自由」には責任と能力が伴うものなので、
責任を負えない・負いたくない人、
能力が低い・適合しない人には
働きにくい職場になってしまう。

成果主義を取らず、待遇が「ある程度平等」で
あることに不満を持つ人もいるだろう。

価値観の合わない人が働いたら
居心地が悪く感じる、そんな組織になりたい。

それでよいと思っている。
万人が働きやすい職場というのは存在しないし、
そんな理想郷を作ることは私には不可能だ。

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