自然主義の誤謬、道徳主義の誤謬

正義、校正、法律

科学的でいたいのであれば、気をつけるべき論理的誤りが二つある。
「自然主義の誤謬(ごびゅう)」と「道徳主義の誤謬」だ。

自然主義の誤謬、「〜である」から「〜であるべき」への飛躍

自然主義の誤謬とは、「〜である」から「〜であるべき」だという考え方である。
「〜である」と「〜であるべき」は、言うまでもないがまったく異なる。それを単純に繋げてしまえば、当然間違ってしまう。
言い換えれば「自然なものは善いモノである」と思い込んでいる状態だ。
「人間は生まれつき能力に違いがあるのだから、扱いも変えるべきだ。」というのは、自然主義の誤謬と言える。
政治的に保守的な人ほど、自然主義の誤謬に囚われる。

道徳主義の誤謬、「〜であるべき」から「〜である」への飛躍

道徳主義の誤謬は、自然主義の誤謬と逆に「〜であるべき」から「〜である」へ飛躍する考え方のことだ。
「善いモノは自然である」という思い込みである、とも言える。
「人間は平等であるべきだから、生まれつきの能力に違いがあるはずがない。」というのは、道徳主義の誤謬を犯しているといえる。
政治的にリベラルな人ほど、道徳主義の誤謬に囚われてしまう。

事実は価値とは中立

科学的な事実というのは、人間が考える「価値」とは全く中立に存在している。
何をもって「善いこと、価値のあること」とするかは個々人の価値観、地域や時代背景によって異なる。

企業経営においてもこれら二つの誤謬に注意しなければ、現状を正確に把握することができなくなってしまう。
事実は事実であり、自然にそうなっているのでも、道徳的にそうあるべきなのでもない。
#ここでいう「〜であるべき」とは、経営理念やビジョンといった「自社の理想像、あるべき姿」とは別の意味である。

現状分析、解決策の立案といったフェーズにおいては「事実」を正確に集め、価値中立的に解釈していくことが重要だ。

判断材料を並べるそのときまでは主観を排した検討が必要になる。
しかし、最終的な経営判断に主観を入れるのは構わない。それがその企業ないし経営者の個性となるのだろうから。

論理的に正しいからといって、やりたくない事をやる必要はないと、私は思っているし、世のほとんどの経営者もそうだろう。

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