本当にそれは全体なのか

コンサル会社時代に、上司に提案書を持っていくと「これで全部?本当に?」とよく聞かれていた。この質問に「これで全部です」と回答するのは勇気がいる。実際にそう答えたら、その後怒涛のような抜け漏れの指摘が来るのが常だった。

そういう躾?を受けたせいか、「これで全部」という言葉が軽々に使えなくなってしまった。どこかに抜け漏れの部分があるものだし、そもそも「これ」で指定しているもの(概念でもいい)が、何か別の「全体」の一部かもしれない。また、時と場合によっては全部でなくてもいい(完璧でなくても、実用に足るだけのものが揃っていればいい)こともわかった。

常に「自分の考えには何か抜け漏れがあるんだろうな」と考えて暮らすのはあまり落ち着くものではない。「自分はやり切った!」とスッキリした気持ちになりたい。だが、自分の思考を過信して何か大きな間違いをやらかすよりはマシだし、他者からの助言を聞き入れる余地が常にあると思えば、そう悪いものでもない。

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