手段の目的化

とある会社で、「電話をかけた回数」をKPIとして設定したとする。KPIはまあ、評価基準とでも思ってもらえれば良い。顧客に電話をたくさんかければ、契約も増えるだろうという意図だったのだろう。

従業員はどうしたか?もちろん電話をたくさんかけた。一度の電話に時間をかけていては自分の成績が下がってしまう。ややこしい話は避ける。一番いいのは、電話をかけたらすぐに「社長はいません」と回答する会社だ。「電話をかけた回数」はどんどん増える。だが、契約は増えない。

これはすごく単純化したケースだが、何がしかの目的を達成するために手段を設定したはずなのに、その手段をいかに達成するかが目的とすり替わってしまい、結果として本当の目的の達成につながらない手段ばかりを繰り返すことは、世の中の至る所で見られる。

私はよく「そもそも何がしたかったんでしたっけ?」と発言して周囲の人にしかめ面をさせることがあるのだが、常に頭の片隅に「目的」を置いておかないと、手段があっさりと目的化してしまうことをよく知っているから、都度都度リマインドしているのだ。(本当に何がしたかったのかを忘れてしまって確認したいわけではない)

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