違う世界線

ここでいう「世界線」とは、パラレルワールドのようなものだと考えていただければ。

自分の選択肢、ささいなものも、大きな選択も、それらによって方向が決まり、今の自分があるわけだ。
配偶者も、進路も、仕事も、人生の全てが、選択の集積でできている。

自分ではささいなことだと思っていた選択肢が、実は人生の岐路だったということもあるだろう。
後からそれがわかることもあるし、永遠にそれとは気づかないこともある。

その時々で最善の選択をしたいと思っているが、それは事後にしかわからない。
いくら分析をしようが、論理的に考えようが、感情の赴くままに決めようが、偶然の要素はなくならない。

趣味を仕事にしていたら?
大阪や東京でずっと働き続けていたら?
中小企業診断士の資格を取得しなかったら?
サラリーマンを続けていたら?
コンサル会社を辞めなかったら?
補助金申請支援の依頼を断っていたら?
法人化しなかったら?
あの人と出会わなかったら?

やり直しができることと、できないことがある。
年を取れば、選択肢は狭まる。「やり直しができないこと」ばかりが増えて行く。

いまさらサッカー選手にはなれないし、(子どものころなりたかった)本屋や自転車屋の店主も厳しいだろう。
たぶん、サラリーマンには戻れない。自分が社長だったら、私みたいな社員は即刻クビにすると思う。

ならば、選んだ選択肢が最善、少なくとも「よりマシな」ものだったと信じて、多少の不満は飲み込んで、さらなる「最善」を積み重ねるしかない。
まあ、今の世界線での生活には、「自分にはもったいないくらいだ」と、概ね満足しているのではあるが。

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