吾れ唯だ足るを知る

京都にある龍安寺で購入した「栓抜き」。

「吾れ唯だ足るを知る」と読む。すべての感じに「口」が含まれているので、こういう面白い?表記ができる。

足りているかどうかを認識するのは難しい。
難しいからこそこうやって言葉にしないといけないのだろう。
現状に満足すれば成長はないだろう。かといって、
現状に不満を持ち続けていては「もっともっと」と終わることのないレースに参加してしまうことになる。

独立して約15年。「もういいかな、十分やったよな」という思いと、
「まだまだできるはず」との思いが交錯している。
いつか「足るを知る」状態に辿り着きたいとも思う。
そうなったら、机の上においてあるこの栓抜きも処分するか、
キッチンに移されて本来の栓抜きとしての役割を果たすようになるのかもしれない。

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