いつもふざけているように見えるらしい。
真面目な年配の方から怒られることがある。「もっとまじめにやれ」と。
まじめにやっていないわけではない。
ただ、まじめにやりつつも、楽しい気持ちを維持したい。
しかめっ面でやるのではなく、周囲の人と笑いながら進めたい。
それがどんなにまずい状況であったとしても、どこにだってなんらかの「おかしみ」を見つけることぐらいはできるはずだ。
真剣だけど、深刻にならない
真剣にやっている。ただ、深刻になるのを注意深く避けている。
深刻になってしまえば、人は容易に精神を病んでしまう。
IT業界でも、経営コンサルタント業界でも、そうやって居なくなってしまった人をたくさん見てきた。
世のなかの大概のことには解決策がある。
仮に解決策がなかったとしても、ダメージを最小限にする手段はある。
ミスを許容する
ミスをすることを恐れていれば、最適な戦略は「必要最低限のことしかしない」となる。
それでは個人は成長しないし、良い会社は作れない。
スタッフにことある毎に伝えている。(伝わっているかどうかは別問題だけれど)
ミスを責めることはない。
大抵のミスは回復可能だから、解決策をみんなで考えよう。
ミスは個人の問題ではなく仕組みの問題だ。人を責めても何も解決しない。仮に回復が難しくても担当が謝罪すれば許してもらえる。
許してもらえない場合は、社長が謝りにいけばなんとかなるかもしれない。それでも許してもらえないなら、迷惑をかけた分の賠償をする。
皆の日々の努力により、そのための資金は確保できている。
ゲームなのだから
現実はゲームだと思っている。個々人の幸せという抽象的な指標を満足させるためのゲーム。
KPI(達成基準)はいろいろあるだろう。年収**万を目指す人も居れば、家族との幸せな時間が一番という人もいる。
もちろん、仕事を通じた自己成長が重要という人も。
いろいろと深刻に考えると鬱になってしまうので、何ごとも気楽に考えてやっている。
端からみるとのんきに見えると思うが、それなりに真剣に考えて、その上でのんきな発言をしていると思ってもらいたい。
どんなに考えても、先のことを知ることはできない。ある程度の予想はできるだろうが、予想が正しいかは事後にしかわからない。
現実というゲームにリセットボタンはないけれど、立ち止まって、充電して、別の道に進むことはできる。