私ではなく関係

「私」ではなく、単なる「関係」の積み重ね、それが実態だと思っている。

私がやっているのではなく、関係性がそうさせている。これは別に責任回避とかそういう話ではなく、実際にそうなのだ。その関係がなければ、私はそれをやらなかっただろう。そんなことばかりだ。

じゃあどこかに本当の「私」がいるのかというとそんなこともなく、関係性しか存在しない。私が何かを欲望したとしても、例えば銀座の高級クラブに行きたがったとしても、それは東京での交友関係とか、私が日常において若い女性との接点がないとか、経営者としてある程度自由に使える金があるとか、周囲との関係性がそうさせているに過ぎない。そこに「私」はいない。関係性のうちのいくつかが現状とは異なっていたら(先程の例で言えば、金がなかったら)、そもそも私は「銀座のクラブに行きたい」という欲望を持たなかっただろう。

「私」は責任を取るための主体として存在するが、その行動を決めるのは私の周囲の関係性だ。会社では社長として振る舞うし、家庭では良き夫として振る舞う、それと同じ。家族には優しい半グレや、友達には誠実な詐欺師なんてたくさんいるだろう。

関係性の変化で行動が影響を受けない確固たる「私」を持つ人がもしいるとしたら、その人にはきっと社会でうまく生きていけないと思う。

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