バイク屋にバイクを取りに行った。走行距離が1000キロを超えたので点検と、あとドライブレコーダーをつけた。それと、黒いエンジンの一部パーツを赤色に変更してもらった。
ドライブレコーダーをバイクにつけるのは過剰な気がしないでもないが、どれだけ安全運転をしていても後ろから追突されたりするリスクはあるわけで、しかも自動車と事故を起こせばダメージが大きいのはほぼ間違いなく自分なので、いいお値段はしたものの保険の一部だと思って購入した。まだマニュアルを読み込めてないのだが、スマホと連携(Apple Carplay)して地図なんかも表示できるようだ。これは「意味のある投資」だろう。便利で、機能的で、リスク回避にも資する。
もう一つの、エンジンのパーツの色変更は、逆に「意味のない投資」と言える。エンジンのパワーがアップするわけでも、バイクの操作性が上がるわけでもない。数値化できない「見た目がカッコ良くなる」という効果があると言えばあるが、あくまで主観の問題であり、人によっては「派手でカッコ悪い」と思うだろうし、ドラレコと同程度の費用がかかると言われたら呆れる人もいるだろう。

(個人的にはとても気に入っている。同世代のバイク好きには、スズキのバンディットを思い出すと言えばわかってもらえるはず)
経営コンサルタントとして、会社経営者として、投資対効果、つまりここにお金を使うことに意味はあるか?は常に考えてきたが、一方で意味のないことへの投資もたくさんしてきた。後者は、投資時点では意味のないことだったが、数年後にそれが思わぬところで価値を生み出すこともままある。
最近は歳をとったからだろうか、神社参拝とか、般若心境を暗記するとか、何らかの「儀式」を自分に課すとか、「他人から見れば、科学的に思考すれば、全く意味のないもの」に強く惹かれる傾向がある。般若心境を唱えることでご利益があるとか効果があるとか妖怪を退けるとか何らかの「意味がある」とは露ほども思っていないが、「意味のないこと」を意味のないままにやるということに、自分だけの価値を見出している。















