ラッセル「幸福論」を最近読み返している。
赤ペンを片手に、気になった箇所には線を引くようにしているのだが、
一回目と二回目の読書で、気になる箇所が異なるのが面白い。
この間に、私という人間の価値観に何がしかの変化があったのかもしれない。
第六章「ねたみ」にはこうある。
あなたは、成功によるだけでねたみから逃れることはできない。
歴史や伝説の中には、いつもあなたよりももっと成功した人がいるからである。
手に入る楽しみをエンジョイし、しなければならない仕事をし、
自分よりも幸運だと(もしかすると、てんで誤って)思っている
人たちとの比較をやめるなら、あなたは、ねたみから逃れることができる。
上を見てるとキリがない。
最近、大金持ちの社長の逸話を聞く機会があった。
私なんかが逆立ちしようと人生を何回生きようと、あそこまでの成功は望むべくもない。
東京に行けば、もっとすごい人もたくさんいるのだろう。
ラッセルの言うように、手に入る楽しみをエンジョイし、しなければならない仕事をし、
自分よりも幸運だと思っている(思っているだけで、実際にはどうだかわからないが)人との
比較をやめようと思った。
妬みは、その作用によっては、自分の向上心につながるが、
変な方向に行くと、自分の幸せではなくて、妬みの相手が不幸になることを望む、大変つまらない感情を生み出してしまう。
妬みは消せない、私は聖人にはなれないが、上記の考え方で、妬みから逃れることはできると思う。