ここ最近、自分の「執着」を捨てたいと思って日々活動している。
物欲、人間関係に関する希望、承認欲求、そして、生きることそのものへの執着も。
そうすれば心の平安、仏教でいうところのニルヴァーナや、ストア派が言うアタラクシアに辿り着けるのだろう。
ならば、会社をやめて自宅も引き払い、持ち物や貯金は全て捨てて流浪の生活を送るのかと言われればそれは違う。
できる範囲で豊かな暮らしはしたいし、欲しいものはなるべく買う。やりたいこともやる。
でも、それらが突然できなくなったとしても、不満を持ったり、悲しくなったりはしない。
執着していないからだ。あれば嬉しいが、なくなったらそれはそれで構わない。
少なくとも人生の一時期にそれらは私と共にあったわけだ。それで十分だ。
何も一生一緒に居続けることもない。