博愛心にのみ期待しても無駄である

前提として、博愛心は大事だと思う。博愛心のある人間の方が友人や仕事相手として好ましいのは当たり前だ。

ただ、博愛心に「のみ」期待して物事を行おうとしてはいけない。
博愛心は突然なくなるかもしれない。無くならなくても、その向け先があなたではない他の人になるかもしれない。

経済学者(本当は道徳哲学者なのだが)のアダム・スミスは、主著である「国富論」にこう書いた。

人間は、仲間の助けをほとんどいつも必要としている。
だがその助けを仲間の博愛心にのみ期待しても無駄である。
むしろそれよりも、もし彼が、自分に有利となるように仲間の自愛心を刺激することができ、
そして彼が仲間に求めていることを仲間が彼のためにすることが、
仲間自身の利益にもなることを仲間に示すことができるのなら、
そのほうがずっと目的に達しやすい。

利益は金銭的なものだけじゃない。承認欲求や虚栄心を満たしてあげることだって立派な利益だ。
利益の話ばかりすることは忌避されるが、どんな行動にだって有形無形の利益が介在している。
それを理解した上で敢えて見ない、見せないのは構わない。
でも、それを理解せず、全てが博愛心で解決できると勘違いしているのなら、いつかあなたは、人間に、他者に、絶望してしまうだろう。

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