キャンセルカルチャー

誰だって間違えてしまうことはある。私だって、あなただって。
ただ、最近は間違えたことへの「罰」が大きすぎるように思う。
一つの失言で社会的な地位のほとんど全てを失ってしまうような。

キャンセル・カルチャー – Wikipedia

現在進行形のものだけでなく、何十年も前の失言や行動が問題にされることもある。
それは、当時の一般常識ではそれほど問題とされなかったものだ。

過去を丹念に掘り返されれば、誰だって後ろ暗いことの一つや二つあるだろう。
今の時代では、そのことは絶対に秘密にしないといけない。バレれば終わりだ。

鍵アカにしたって、プライベートなグループでの投稿だって、クローズドな会合での爆弾発言だって、
一人でも「裏切り者」がいれば終わるのだから心は休まらない。
高性能なカメラとマイクは、スマホという名前で全員の手に握られている。

最適解は、「個人的な意見は誰にも、何も喋らないこと」になるだろう。
当たり障りのない意見だけを発信する。

誰も傷つかない、素晴らしい社会が到来したのだろうか?
どうやら大多数の人はそんな社会を望んでいるようで、
今日も誰かが失言をしてはいないかとネットを徘徊し、
理想社会の実現に微力ながら貢献している。

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