他人からどう思われるかについて、あまり気にならない。
それが気楽な面もあれば、無用なトラブルを招くこともある。
自分が買うものは、単純にそれが好きだから、必要だと思うから買うだけだ。
ただ時折、それが高価だったり希少なものだったりこともある。
それを所有することで誰かに評価(頭がいいとか、趣味がいいとか、金持ちだとか)をもらいたい気持ちは全くない。
それでも、自慢しているとか上から目線だとか誤解されてしまう。
聞かれたから答えただけで、あなたからの評価など私の人生には全く関係がないよと言いたいのだが、
その発言を我慢できる程度には大人になったようだ。
バートランド・ラッセルの名著「幸福論」には、こうある。
私見によれば、専門家の意見は別として、一般に、
重大な問題でも些細な問題でも、他人の意見が尊重され過ぎているのではないか。
概して、飢えを避け、投獄されないために必要な限りで世論を尊重しなければならないが、
この一線を超えて世論に耳を傾けるのは、自ら進んで不必要な暴力に屈することであり、
あらゆる形で幸福を邪魔されることになる。
<中略>
もちろん、わざと世評を無視しても少しも意味はない。
これは、逆さまなやり方ながら、やはり、世評に支配されることに他ならない。
しかし、世評に本当に無関心であることは、一つの力であり、同時に幸福の源泉でもある。ラッセル「幸福論」第9章 世評に対するおびえ より
ちなみに幸福論というタイトルの書籍は多数ある。ラッセル以外だとアランやヒルティのものが有名だ。
いずれも読んだことがあるが、個人的には宗教的なケレン味の少ないラッセルのものが自身の価値観にあっている気がする。
個人としては人の評価はあまり気にならないが、
会社として、経営者としての評価はまた別だ。
評価の良し悪しが会社の経営に直結しているので、
そこは敏感にならざるを得ない。コントロールも緻密に行なっているつもりだ。