不条理なストーリーの小説を時折読む。
カフカや安部公房などが代表的だろうか。
夢野久作の「ドグラマグラ」を含む「日本三大奇書」も全て読んだ。
ストーリーに(一見)一貫性はない。脈絡がなかったり、謎は最後まで読んでも明かされることがなかったり。
推理小説のようなカタルシスはない。疑問符を大量に抱えたまま、読書が終わる。
現実世界はどちらに近いのだろうか、とふと思うことがある。
推理小説のように「全てが繋がって」いて、伏線が全て回収されることが人生においてあっただろうか?
むしろ不条理小説のように、わけもなく人が死んだり、自分の「物語」から退場したりする。
「予兆」のようなものを感じてもそれが何らかの結果をもたらすことは少ないし、
伏線のように見えたものは、回収されることなく忘れ去られてしまう。
疑問は解決しない。あの人が何を考えているのかも、本当のところはよくわからない。
人生は不条理だと考えると生きるのが辛くなるので、人は人生を推理小説のように「あえて」考えるのかもしれない。
理由があり、ストーリーがあり、悪い奴は必ず罰を受ける。
明日も人生は今日の延長として続いていく、なんの不安もない。
不条理な小説に惹かれるのは、本来不条理な人生を生き抜くためのシミュレーションをしたいからだろうか。
正直、エンタメ小説などと比較すればそれほど楽しくも、面白くもない。なのに、読むのをやめられない。
映画「箱男」を観た帰りに、そんなことを考えた。