アーカイブ

デジカメで撮影した写真をずっと保存している。大学時代にデジタルカメラが普及しはじめ、その後撮影した写真は大概データを残している。最初はフォルダに保管していたが、今はAdobe Lightroomという管理ソフトに全て移行した。前世紀末からの、30年弱のデータの蓄積があるわけだ(初のデジカメはカシオのQV-10で、1枚の写真をパソコンに転送するのに数十秒かかった記憶がある)。容量は2テラバイトを超えている。

時系列に過去の自分が撮影した写真をざっと見る。写真の腕も多少は上がったように思うが、それよりもデジカメの進化に助けられている面が大きい。90年代のデジカメはまだまだおもちゃ扱いで、プロが使うものではないという認識だった。私も途中で一眼レフの銀塩カメラ(確かCanonのEOS KISS)を買った記憶がある。デジカメはサブとして、ソニーのCybershotF1を所有していた。00年代あたりからデジカメの性能も向上し、銀塩カメラは不要になった(CanonのEOS KISS Mark2と、Lレンズを買った)。その後メーカーをオリンパスやパナソニック(マイクロフォーサーズ規格)に変えたり、富士フイルムに浮気したりコンパクトデジカメ(リコーGR)にハマったりやっぱりドイツの科学技術は世界一!などと紆余曲折があり、今もカバンには常時何がしかのカメラが入っている(最近はGR3xの出番が多い)。

過去の写真を見ていると、「こんなところ行った記憶ないな」という風景を多く見つける。Googleカレンダーの記録と照らし合わせると、確かに私は過去にそこに行っていたことがわかる。逆もある。先日沖縄の波上宮という神社に行ったのだが、なんか前にきたような気がする・・デジャブってやつかなと思っていた。後日、過去の写真を見返していると、2009年、コンサル会社に勤務していた頃に、沖縄出張の空き時間に同じ神社に行っていたことが分かった。デジャブでもなんでもなかった。

日記を見返す時も同じことを感じるが、記憶というのは本当にあてにならない。しかし世の中のたいていの人は自分が完璧な記憶を保持していると勘違いしていて、間違いを指摘すると「俺は確かに覚えている!」と怒り出す人もいる。

皆が「記憶なんて不確かだ」という認識を持つようになれば、世界はちょっとだけ優しくなるのかもしれない。

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