GWに時間があったので、般若心経を暗記してみた。仏教に関するわずかな知識をフックに、なんとかそらんじることができるようになった。
妻からは「なんの意味があるのか」と呆れられた。実害もある。風呂場からお経が聞こえてくるのは不気味だろう。
さて、なぜこんなことをするのか。意味は特にない。私はハードな無神論者で、神も仏も信じていない。芳一という名の琵琶法師は般若心経を全身に書くことで悪霊?から逃れることができたようだ(なぜ耳のような目立つ場所に書き忘れたのかは不思議だ)が、特に悪霊にストーカーされてもいない。一部の人にとってはありがたいお経であるのかもしれないが、サンスクリット語を漢訳した時点でその功徳(呪力)とやらもいくらか減衰してそうだ。実際の音を模した「ぎゃーてー」の部分だって、実際のサンスクリット語の発音とは大分異なるのではないか。
敢えていうのなら、「全く意味のないことをしたかった」のかもしれない。会社を経営することは、意味のあること、効果のあることをひたすらやり続けることであり、意味のないことが入り込む余地はない。ならば、たまの長期休みくらい、意味のないことをしてもいいじゃないかと。
妻が買い物のついでに百円ショップで写経セットを買ってきてくれた。「知育グッズ」だと言われた。これで記憶の定着も捗りそうだ。