「反省」という言葉には、どこかネガティブな響きがある。
失敗について分析するというよりは、殊勝な態度をするかどうかが重視されることもしばしばだ。
反省会をすれば「誰が悪いのか」という議論になりがちだ。
それが会議室なら魔女裁判が始まる。居酒屋なら、酒を飲んで忘れよう、となる。
畑村洋太郎著「決定学の法則」(名著だと思う、ぜひ一読することを勧める)には、こうある。
自己否定して自身を喪失させるような反省ならしない方がいい。
次の決断の時に乗り越えなければならない心理ポテンシャル(注釈:ハードル)の壁が高くなるだけです。
やたら反省しても、自分のことが嫌になるだけだ。
そんな思いをするのであれば、もう何もしない。上司や取引先から言われることだけやっておこう・・・となりかねない。
必要なのは反省ではなく「省察」だ。
英語なら「Reflection」がニュアンスとしては近い。
前著によれば、省察とは、
決断し、行動し、起こった結果を省みること。
結果の要素を抽出し、構造化して考える。
それを文章や絵でまとめて知識化する。
<中略>
そこには自己批判は必要ない。
結果を受け止めて正しく分析するだけのことです。
ネガティブなことが起きたとき、誰かに責任を押し付けるのは簡単だ。
彼に「反省します、次からはやりません」と言わせ、シュンとなっている姿を見て、それで満足していないか?
反省に意味はない、自己批判、自己否定はいい結果を生まない。
省察し、個人の問題ではなくシステムの問題として対処する。
そうしなければ、別の誰かが同じ間違いを繰り返すだけだ。