私は以前、中小企業診断士資格の実習講師をしていた。
1次試験、2次試験と面接をくぐりぬけた受講生は、この実習で中小企業3社を訪問し報告書を作成する。終われば晴れて中小企業診断士だ。
実習中、受講生には必ずこう伝えていた。
「ページ数は気にしなくていいから、伝えたいことがきちんと伝わる資料を作って」
ページ数と資料のクオリティはまったく関係がない
ページ数が多い、分厚い報告書を作れば、仕事をした気になるだろう。訪問先の社長も「こんなにたくさんの資料を」と、喜ぶかもしれない。
でも、ページ数が多い、イコール良い資料ではない。
課題をしっかり捉え、課題に対する正しい(可能性の高い)解決策を提示し、具体的にどうアクションを起こせばいいのかを指し示すのが、よい資料だと思う。
そこにページの長さは関係ない。むしろ、ページが少なくて同じ内容を伝えることができるなら、その方が読み手の負担が減る分、よい資料だと言える。
ページ数を指定されれば、合理的な人間はどう行動するか
他の実習講師で「受講生一人あたり40ページの作成」を強要する方もいた。
これは実習なので、そうやって実習生に負荷を与えることで成長を促す手法も、一概に否定はできないとは思う。
しかし、ページ数を指定された受講生はどう対応するか?
簡単だ、ページを水増しするのだ。
一文を長くする、改行を増やす、不要なグラフや表を貼り付ける、ウェブサイトのスクリーンショットをコピペする・・・・
結果どうなるか?水ぶくれして論点のぼやけた、分厚いだけの報告書が出来上がる。
受講生を不真面目だと批判することはできない。
限られた時間のなかで行う作業において、内容に関係なくページ数を指定されれば、誰だってそうする。もちろん私もそうする。
もっと時間があれば、もっと短くできる
パスカルは友人宛に書いた手紙にこう記した(引用元が定かで無く、ベンジャミン・フランクリンやアナトール・フランスという説もある)。
If I Had More Time, I Would Have Written a Shorter Letter.
わたしにもっと時間があれば、短い手紙を書けたのでしょうが。
推敲する時間を作らないから、だらだらと長い資料ができあがる。
自問しよう。「その長さに必然性はあるのだろうか?」
伝えたいことがきちんと伝わるだけの情報があればそれでいい。
短くすることを躊躇してはいけない。