TTPという言葉が苦手だ。
「徹底的にパクる」の頭文字?だそうだ。軽薄な気がしてしょうがない。
パクるという単語がそう思わせるのかもしれない。上澄みだけ盗んでいるように思える(私だけかもしれないが)。
そもそも、パクるってのは窃盗という意味だし、受動態(パクられる)にすると逮捕という意味になってしまう。
倣う、まねる、学ぶ
日本にはもっといい言葉が昔からある。倣う、真似る、学ぶ、よりどりみどりだ。
なぜパクるなどという下品で浅薄な(少なくとも私にはそう思える)言葉を使う必要があるのだろうか。
パクるという言葉には進歩がないように思う。
倣う、真似る、学ぶにはそれがある。人は習い、真似、まなび、そこから自分のスタイルを作り上げる。
模倣の先に
自分の頭だけで独創的なものが作れるのは一握りの天才だけだ。
ほとんどの人は、何かを模倣し、組み合わせ、そしてそこから新しい何かを作り出す。
トヨタ生産システムは米国のスーパーマーケットを模倣した。
ヤマト運輸の宅急便は吉野家とUPSとJALパックの悪魔合体だった。
文芸評論家の小林秀雄はこう言ったそうだ。
模倣は独創の母である。
ただ一人の本当の母親である。
二人を引き離してしまったのは、
ほんの近代の趣味に過ぎない。
たかだか200年程度の、「近代の趣味」に惑わされてはいけない。
表面だけをパクって短期的な利益を得るのではなく、
その本質に習い、真似、学んで、さらに発展させよう。
それが本家へのリスペクトだ。