古典を読むのが好きだ。古代ギリシャ・ローマの哲学から中世の神学、
共産主義などイデオロギー系や第二次世界大戦に関するものなど、ジャンルは様々。
「そんなカビ臭い昔の本を読んでどうするんだ?」と、
読書を趣味としない人間から聞かれることがある。
読書が趣味でも、最新の情報にしか興味がない人もいる。彼らもやはり同じ質問をする。
そんな過去の未発達だった時代の思想など、現代の脳科学(ここに入る言葉はなんでもいい)では
否定されているではないか。間違いが書かれた書物に何の意味があるのか?それより生成AIだよ!と。
確かに、古典には明らかな認識違いや、現代の価値観からすれば許されないようなことも書かれている。
私は、人間の本質はあまり変わっていないと思っている。
古代ローマ人と現代人である私の悩みは、一部共通している。
(もちろん全部ではない。私は奴隷の扱いについて悩んだりはしない)
先人が陥った罠に、自分まで再度引っかかる必要もないだろう。
今月大ヒットした書籍は、おそらく数10年後には忘れ去られているだろう。
(脳内革命という本の内容、覚えていますか?)
古典は、何百年もの間「忘れ去られなかった」。社会の基盤となり、社会を変革した本もある。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という。
経験に学ぶことも重要であり、「愚者」は流石に言い過ぎではないかとも思うが、
経験の授業料は高い。時に支払いが難しくなるほどに、高価だ。
歴史に学ぶのは安価だ。なにせ、本を数冊買って読むだけでいいのだから。
そんな話を滔々と語っても、「意識高い系」と揶揄されるだけだし、議論になったところで、
人は自分の意見を絶対に変えようとしないのも長年生きてきてよくわかったので、
最近は「単なる趣味でしてねえ」と、やんわりと回答するようにしている。















