成果物と理解の断絶

教育が“評価システム”である限り、「AIに乗っ取られるのは必然」? | クーリエ・ジャポン

生徒は宿題をAIで片付けるし、教師も採点をAIに頼ってしまう・・という記事。本来は教育は「理解」を確認しないといけないのに、「成果物」を検証することで理解を疑似的に確認していた。今は理解せずともAIが成果物を作ってくれるので、教育のシステム自体が成立しなくなりつつあると。

教師は自分がやれば10-12時間かかる仕事をAIならコーヒーを買いに行っている間に終わるといい、生徒は面倒な成果物の作成はAIにやらせて、自分はよりクリエイティブなことに専念したいと嘯く。「理解」は二の次だ。理解はしてないのに、成果物だけは素晴らしい。教育が骨抜きにされている。

だからと言って「便利なツールを使うな」と強制するのも変な話だ。そもそも強制することは不可能だろう。記事でもあったが、ある教師はGoogleドキュメントの編集履歴を確認することでAIに作らせていないかを判断するそうだが、すでに「人間を模倣してテキストを入力するAI」が登場しているとか。わざと間違えたり、作業に時間をかけたりするのだろう。イタチごっこだ。

企業の採用活動も、エントリーシートや小論文などではもうその人を判別できない。会って、スマホを見れない状態で面接するしかない。取引先の見極めだって、そうかもしれない。メールだけのやり取りでは、その人が本当に有能なのか、それともその人が使っているAIが有能なのかを判別できない。

補助金の申請書だって、企業がちゃんと考えて書いたものなのか、AIに適当に作らせたものなのかの判別はいずれ不可能になるだろう。ここ数年、特に大型の補助金において「リアル会場での社長プレゼン」が必須とされるようになってきたのも、生成AI対策なのかもしれない。

どんなに技術が進歩しても、人生の責任を取るのは人間だ。勉強を怠ったことの責任も、安易に人材採用をしてしまったことの責任も、仕事相手の評価を適当にしたことの責任も、事業計画を自分の頭で考えなかったことの責任も、全てその当事者が取ることになる。時間や費用の消費、精神の消耗というかたちで。

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