一日一善

1日に一回は「いいこと」をしたいと思っている。ささやかなことでいい。たとえば前の人がハンカチを落としたら拾って渡す。ATMで目の前の人が操作に困ってたら教える、海外からの旅行者に道を教える、記念写真の撮影役になる(なぜか観光地に行くとよく声をかけられる)などだ。先日はシアトル系カフェで注文の仕方がわからず、商品の受け取りカウンターに並ぼうとしていた老夫婦に「並ぶ場所が違いますよ」と声をかけた。エスカレーターの出口でロングスカートの裾が巻き込まれた中年女性のスカートを外すのを手伝ったりもした。

相手の反応は様々だ、前述の老夫婦からはお礼を言われたし、ポケットから交通系ICカードを落とした若い女性は私から声をかけられてびっくりしたのか、何も言わずにカードを受け取っただけだった。

もちろんお礼を言われたくてやってる訳ではない。
相手のためでも、社会のためでもない。自分のためにやっている。
自分が「ささやかな良いこと」をできる程度には今精神に余裕があることを確かめるためにやっているのだと自己分析している。手強い問題に悩まされている時でも、「良いこと」が自然にできるのであれば、まだ自分は大丈夫だと。

なので自分は良い人ではない。むしろ、周囲の困りごとを自分のヘルスチェックのために利用している自己中心的な奴なのだろう。尤も、誰も他者の中身はわからないので、一見良い人に見えるのだろうが。

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