誰だって正しくありたい。ただ、どこで正義を感じるかはさまざまだ。
勤め先の不正に加担するのも、社会全体で見れば不正義ではあるが、会社の皆が少しでもいい暮らしを送れるのなら、それは共同体から見たら正義であるとも言える。「正義のために不正をする」というのはあり得る。正義の適用範囲が異なるのだ。宗教戦争を見るといい。いずれも正義だと言っているし、きっとそうなのだろう。
タバコのポイ捨てに対して「何もそこまで・・」というくらいに怒る正義の人が、芸能人の不倫のニュースに「社会的に抹殺」しろと熱く主張する人が、自分が経営する会社で税金を払いたくないと脱税を繰り返している、出張旅費を水増し請求する。
正義というよりも、状況に応じて自分が正義の側にいられるロジックを柔軟に組み立てているだけのようにも思える。私は正義をふりかざす人はなんか胡散臭く思ってしまうし、自分が正義だとはなるべく思わないようにしている。正義の側にたてば、何をしたって許されてしまう。ネットで炎上している無数の案件を見れば、正義が持つ「悪の力」がよくわかるだろう。