フィルターバブルという言葉を知っているだろうか。比較的新しいキーワードのようだ。

フィルターバブル(filter bubble)とは、インターネット検索サイトのアルゴリズムが、ユーザーの情報(所在地、過去のクリック履歴、検索履歴など(ウェブビーコン,en:Website_visitor_tracking )に基づいてユーザーが見たい情報を選択的に推定するような検索結果を出すことが原因で、ユーザーがその人の観点に合わない情報から隔離され、実質的に彼ら自身の文化的、思想的な皮膜(バブル)の中に孤立するようになっていくこと。

右翼でも左翼でも、リベラルでも保守でも新自由主義でもなんでもよいが、少しソーシャルネットを徘徊するだけで、フィルターバブルの罠に陥ってしまった人を容易に見つけることができるだろう。

もっとも、このようなことはいまに始まったことでもない。
昔から人は同質な集団に所属して生きてきた。その方がラクだし、安心できるからだ。
自分と同じ組織やコミュニティに属する人間の意見しか聞いていなければ、そこにフィルターバブルは生まれる。

解決策は、異分野の人と交流すること。
理解できない奴らがいたとしても、奴らなりに論理を持ってはいるのだ。
彼らの意見に同意できるかどうかは別として、「そういう方向からの考え方もあるのか」と認識するだけでもフィルターバブルを回避する効果があるだろう。

同じ意見の人達と話すのは気が楽だ。いつもの場所に行くと落ち着くだろう。
それでも、あえてストレスをかけてでも、セレンディピティ(偶然の出会い)を探して、普段会わない人、行かない場所に行ってみよう。
フィルターバブルによって視野が狭くなれば、正しい意思決定などおぼつかないのだから。