年末、健康チェックのために病院に行った。
見た目からは想像できないほどに
健康体なのではあるが、
中小企業の経営者は
身体を壊したらそこでジエンド。
そうならないために、
ちょくちょく通うようにしている。

看護婦さんとももう
顔なじみになってしまった。
いつも通り雑談をしていると
こう言われた。

「米倉さんは、仕事で人に怒ったことなんて
ないんじゃないですか?」

こう答えた。

「そうですね、怒りませんね。
怒って何かが解決した経験がないので。」

怒るよりもやるべきことがある

怒れば、当たり前だが相手は萎縮するだけだ。

一時的に問題は解決したように
見えるかもしれない。
でも、長期的に見れば問題は
何も解決していない。
隠された分、見えないところで
悪化している可能性すらある。

そもそも本当に相手が悪いのであれば、
どこが悪いのか、どう思っているのか、
どうやったら解決できるのか、
解決したことを確認するために
何をチェックすればいいのか、
再発を防止するための方策など、
指摘すべきことはたくさんある。

そしてそれを伝えるのに、
怒りながら行う必然性はまったくない。

誰のための「怒り」なのか

私は、「お前のためを思って怒っているんだ」
と言う人たちを信用していない。
彼らには「相手のためを思って、
かつ怒らずに助言をする方法」を
検討した形跡が一切見当たらないからだ。

「お前のためを思って怒っている」というのは、
自身が感情のコントロールをできていないことを
正当化しているに過ぎないのでは
ないかと邪推してしまう。

怒るのは合理的か

自分は、人に怒られるのは嫌だ。
たぶん誰だってそうだろう。
#例外的に怒られると気持ちが良い人
#がいるのかもしれないがここでは考えない。

相手がまだ子どもであれば、
論理ではなく
感情や暴力で言うことを
聞かせる方法も正当化
されるのかもしれない。

しかし、相手が理解力がある
大人なのであれば、
相手が嫌がる方法で
相手を説得する、という
まったく不合理な行為に
なってしまう。

だから、自分は怒らない。
怒る暇があるのなら、
当事者と一緒に少しでも早く
解決策を考えた方が生産的だ。