作業興奮と言われる現象がある。
やる気がなくても、とにかく作業を始める。
作業を始めて5分ほど経つと、作業をしていることで、やる気を司っていると言われる脳の場所「即座核」が興奮し(だから、作業興奮と言う)、やる気が出てくるというのだ。
仕事をしたくないが、とにかく単純作業をやっているうちに次第に調子に乗ってきて、いつのまにか大量の仕事をこなしてしまった、気付いたら、時間が経つのを忘れて仕事をしていた・・というような体験は、誰でも持っているのではないだろうか。
「やる気が出てきたからやる」というのは逆で、「やり始めたらやる気が出る」のだ。
そもそも、やる気に頼った仕事のやり方でいいのか?
やる気というものはとても不安定なものだ。
例えば、車で通勤していて後ろの車からクラクションを鳴らされたりすると、それだけで会社に着いてからのやる気を無くしたりしないだろうか。
やる気というものは、仕事だけでなく、夫婦げんかや天気・気温などといった日常の様々な出来事を原因に上下動するものだ。
やる気が出れば仕事はできるのかもしれない、でも、そんな不安定なものに頼った仕事をしていて本当にいいのだろうか?
例えば、あるデザイナーに仕事を頼むとする、彼が「今回の仕事は大好きな分野なのでやる気をだして作りました」といったら、「他の分野ならやる気が出なくて適当にやるのかな」と思ってしまわないだろうか。
そのデザイナーに他の分野の仕事を任せたいと思うだろうか。
仕事というのは安定した品質を提供しなければいけないものであって、やる気次第で品質が大幅に変わるようなら、それは趣味の延長でしかないだろう。
やる気があるかどうかなんて、誰にもわからない
「あいつはやる気がある」と皆から認められている人がいる。その人は本当にやる気があるのだろうか?
やる気と呼ばれる何かが、身体の中のどこに存在するのかは誰にもわからない、見えないし、臭いも、音もしない。
「やる気がある人」というのは、周りから見れば、「積極的に仕事をしているように見える」「結果をきちんと出している」人だ。
だけど、その人にやる気があるかどうかなんて誰にもわからない。
ただ、義務感から積極的に責任を引き受け、自分のやるべきことを淡々とこなしているだけかもしれない。
それでも、周りの人は「あいつはやる気がある」と判断してくれるだろう。
まとめ
「やる気を出す方法」といった本やブログは世の中にあふれているし、筆者もいろいろな本を読んできたが、たどり着いたのは「そんな方法はない」という結論だ。
趣味など本当にやりたいことであれば、やる気は無限に湧き出てくるだろう。
だが、仕事として行う以上はやりたいことだけできる訳ではない。
たとえ独立しても、得意でない、やりたくない作業は必ず発生する。
やる気をだすためには、逆説的になるが「どうやってやる気を出すか」について考えるのを辞めてしまうのをおすすめする。
やる気を出す方法を考える暇があれば、ペンと紙を持って、またはノートパソコンを開いて、荒削りでもいいのでとにかく仕事に取りかかろう。
ファイル名をつけるだけでもいい。冒頭の挨拶文を書くだけでもいい。
関係する項目を紙に書き、それぞれの関連性を矢印で表すだけでもいい。
5分ほど経つと、あなたの頭の中で「作業興奮」の仕組みが働きはじめる。
すると、あなたはやる気の有無に関わらず、きちんと仕事を終えることができるだろう。
それで何の問題もない。