「分人(dividual)」という考え方がある。

個人(individual)は「これ以上分けられないもの」という意味がある。個人は最小単位で、これ以上分けられないと従来は考えられてきた。
しかし、現代の人間は、複雑化した社会のなかで、様々な役割を求められる。
それをひとつの「個人」で賄うのは難しいのでないか?であれば、個人を分割し「分人」の集合体として再定義してはどうか?というのがこの分人という発想だ。

もちろん、人間を物理的に分割できるわけではない。これはあくまで心理上の話だ。

本当の自分はいない

分人の考え方においては、「本当の自分」はいない。
状況に応じた分人の集合体が自分だと定義される。
これは、考えてみれば納得がいくのではないだろうか。

経営者として従業員に接する私。
家族として、妻や両親、妹たち、妹達の夫(義弟)に接する私。
気の置けない友人と話す私。
もっと細かくするなら、仕事では取引先の企業ごとにすこしずつ見せる顔を変えているのかもしれない。

傷ついたのはあなた全体ではない。あくまで分人

たとえ、ある企業との仕事で大きなミスを犯したとしても、それがあなたの全てではない、別の分人(たとえば妻や友人との)は傷ついていないし、分人の構成比率を変えることで対応できる。

学校でいじめにあったとしても、それはあなたの分人の一人がいじめられているだけだ。
「個人」という発想であれば、学校でいじめられただけで自分の全人生・全人格が否定されたように感じる。しかし、分人の考え方であればあくまで否定されたのは学校での「分人」だけであり、傷ついていない、家庭や塾などの「分人」の割合を増やすことで対応できる。
残念ながら、いじめられている分人を変えようとしても問題は解決しないことが多い。いじめっ子たち用に創り出したあなたの「分人」をチェンジするのは用意ではない。自分ではそうしたくても、いじめっ子たちがそれを許さない。

ミスをしても「分人」のせいにして気にするなと言うのではない。
ミスを犯した要因などの原因分析と対策は必要だが、それはあなたの人格全体とは何の関係もないので、切り離して考えるべきだということだ。

分人の考え方で、生きづらさを回避する

「本当の自分」を想定するからこそ、「いまの自分は本当の自分ではない」という思いが生まれ、それが生きづらさとなる。
会社でのあなたは、本当の自分にウソをついて仕事をしているわけではない。会社用の分人で対応しているだけだ。

繰り返すが、本当の自分なんてものはどこにもいない。
状況に応じた分人の集合体、それが自分だと考えることで、気分を楽にして人生に向かい合うことができるだろう。

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