先日読書をしていて気になった一節。

“なぜオトナになって年齢を重ねるほど勉強がコワくなるのかは、「勉強とはなにか」という本質を考えればわかります。
勉強とは、自分のなかの経験と常識をぶち壊す行為なんです。”
― from “みんなの道徳解体新書 (ちくまプリマー新書)”

勉強とは、自分のなかの経験と常識をぶち壊す行為。
実際には、完全に破壊するわけではなく、再構成する・・くらいのニュアンスが正しいのではないかと思う。

読書やセミナー、人との対話によって新たな知識を得、自分の経験や常識が再構成
される、これを「気持ちいい」と思える人はいつまでも成長できるのだろう。

反対に、これまで人生で築いてきた経験と常識を壊したくない、いままでのやり方を続けたい・・と願う人は、勉強することが怖くなっていく。
それが悪いとは思わない。ただ、経験や常識が時代や状況に適合しなくなった時に、難しい判断を迫られることになるだろう。

科学技術の進歩は著しく、10数年前は常識として語られていたことが現在ではまったく逆になっていることもある。メラビアンの法則だって、以前はさも当然のように書籍やセミナーで語られていた。

いままでの自分が間違っていたのではない、単純に「知らなかった」「誤解していた」「新たな知識が出てきた」のだ。ならば修正すればよい。自分の考えに固執することで、損を被ったら、それこそ馬鹿馬鹿しくないか?

新たな知見に触れたとき、「そうか、いままでの自分の考え方は間違っていた」と素直に認めることのできる人間でありたい。